みなさんはマザーテレサという人を知っていますか?
マザーテレサ=ボランティア活動をしていた人という認識を持っている人は多いのではないでしょうか。
そんなマザーテレサにちなんだ「マザーテレサの日」という日が制定されているんです。
今回は、マザーテレサのこれまでの功績やマザーテレサの日についてまとめていきます。
「マザ-テレサの日」とは?
マザーテレサの日は毎年8月26日に制定されています。
まずは簡単にマザーテレサについて説明していきます。
【マザーテレサとは】
マザーテレサは1910年スコピアのカトリック教徒家庭の子どもとして生まれました。
カトリックの修道女としてインドの修練院に、そしてその後カトリック系の学校で教師をしていました。
しかし36歳のとき、ダージリンへ向かう汽車の車中で「神の召命」を受けたことにより、貧しい人々の中に入ることを決意したそうです。
そこから1997年に亡くなるまで貧しい人々を救う活動を続けて世界を周りました。
由来・意味
このマザーテレサの日というものは、貧しい人々のため生涯をささげたマザーテレサを讃え、その活動に感謝するという意味が込められています。
なぜこの8月26日になったのかというと、マザーテレサが生まれた日だったからということが由来になっています。
マザ-テレサの功績とは?
ここからはマザーテレサの功績について紹介していきます。
マザーテレサは、貧しい人々のために活動をしようと決めてから、最初に貧民街に学校を建てました。
路上で死にそうになっている人を連れてきて、最期をみとるための施設「死を待つ人々の家」の開設します。
その後も孤児のための施設「聖なる子供の家」を開設するなどをして貧しい人々のために活動をしていきました。
他にもハンセン病の移動診療所を始めたり、カルカッタから西へ約600キロとランチの町に修道院を開設しました。
1960年には、チタガールほハンセン病の患者さんたちに治療を始めます。
その8年後の1968年には、ハンセン病患者の療養施設シャンティ・ナガル「平和の町」を作りました。
そして1979年にはノーベル平和賞を受賞します。そのときに「わたしは受賞に値しないが、世界の最も貧しい人々に代わって賞を受けました」という言葉をコメントし、今でも語り継がれています。
このようにマザーテレサは生涯を通して貧しい人々のために行動をしていきました。
そのためマザーテレサが亡くなったときには様々な場所から人々が訪れ、今でもマザーテレサが眠っている"マザーハウス"には毎日人が訪れているそうです。
マザ-テレサが起こした2つの奇跡
マザーテレサは「聖人」として認定されています。
この聖人というのは生前、敬けんな信仰を貫き、 教えを完全に実行したとされる人でありカトリック教会の最高の位になっています。
そして殉教者ではない人が聖人と認定されるには、 死後に2つの奇跡を起こしたことが認められる必要がありました。
マザーテレサが起こした2つの奇跡についてここでは紹介していきます。
腫瘍が消えた?
まず1つ目の奇跡としては、マザーテレサに祈ったというインド人の女性の腫瘍が消えたこと挙げられます。
この女性は34歳のときに腹部の腫瘍を患いました。
「胃に腫瘍ができ、日に日にそれは大きくなって人々は私が妊娠していると思っていました」と女性は言っていたそうです。
そして医師は「7ヶ月の胎児と同じ大きさの腫瘍で緊急の手術をしなければ命にかかわる」ほどだったと証言していました。
しかし女性は極度の貧血症だったため、手術を受けることができませんでした。
希望がなくなったと思った女性は、「死に行く人のための家」というマザーテレサの働いていた病院にいきました。
そしてマザー・テレサが亡くなって1年経った次の日、女性はその家の礼拝堂に行きたいといいました。
その女性はその時の様子をこのように語っていたそうです。
「礼拝堂に入ると、マザーテレサの写真が目に入りました。そのとき、あたかも一条の光が私に向って飛び出たように感じ、私は体が麻痺したように感じました。」
その後シスターたちが女性のためにお祈りをしてくれ女性は眠りについたそうです。
午前1時に目が覚めると、腹部の腫瘍がなくなっていたといいます。
このことを2001年の8月にカルカッタ司教区の特別委員会が報告書を取りまとめ、ローマ法王庁列聖省に提出したそうです。
病気が回復
2つ目は脳腫瘍を患ったブラジル人男性が回復したということが挙げられます。
この男性は脳感染症で危篤状態にあったそうです。
その時に男性の妻がマザー・テレサに祈りを捧げると、男性がこの脳感染症の危篤状態から回復したとされています。
この2つがマザーテレサが死後に起こした奇跡として認められたことにより聖人として認定されました。
マザーテレサが来日して日本人に残した言葉
マザーテレサは日本来日し、日本人への言葉も残しています。
ここでは、マザーテレサが日本人へ残した言葉をまとめていきます。
1984年に来日し、聖心女子大学の講堂で講演した際の言葉を紹介します。
「日本では路上で行き倒れて死んでいく人、膿にまみれてハエにたかられている人はいません。
しかし、日本を歩きながら大変なショックを受けました。
街はきれいだしとても賑わっているのに、その街を歩く人たちの顔に笑顔がないのです。
皆さんの悲しそうな表情が心に焼きつけられました。
インドの貧しい人たちは体は病んで苦しんでいますが、日本人は心の中にぽっかり穴があいているのではないでしょうか。
貧しい人たちの体をケアする必要があるように、寂しい思いをしている日本の人たちには、ちょっとした言葉をかけてあげてください、温かい笑顔を見せてあげてください。
それは私がインドで貧しい人々にしているのと同じことなのです」
これは、日本にいて感じるという人もいると思います。
忙しく過ぎていく時の中で笑顔でいる時間がどれくらいありますか?
インドでは体が苦しんでいるけれど、日本人は心に穴があいているという言葉が響くという人が多いと思います。
そしてこのような言葉も残しています。
「アフリカの国々が滅びるとしたら貧困が原因だろうが、日本は心が原因で滅びるでしょう。
日本人はインドのことよりも日本の国内の心の貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。
愛はまず手近なところから始まります。誰からも必要とされていない貧しさこそ、一切れのパンの飢えよりももっとひどい貧しさと言えます。
豊かな日本に心の貧しい人がたくさんいる。それに気づくことさえできない人もいる。
愛はまず家庭から始まります。まず家庭の中から不幸な人を救いなさい。
夫婦が愛し合い、母親が家庭の中心となりなさい。自分の家庭が愛に満たされなければ隣人を愛することはできません。」
このようにマザーテレサは日本の心の貧しさについていつも言葉を残していたようです。
これは近年日本で問題視されている問題につながっていく言葉かもしれません。
さいごに
今回は、8月26日のマザーテレサの日について紹介していきました。
そしてマザーテレサという人について詳しくまとめていきました。
なんとなく知っているけれど何をした人かはわからないという人もいたのではないでしょうか。
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