みなさんは「即席ラーメンの日」を知っていますか?
お昼にちょっと小腹が空いたけどつくるのがめんどくさいな〜というときに活躍するのがインスタントラーメンですよね。
今回はそんな即席ラーメンの日についてやインスタントラーメンについて紹介していきます。
「即席ラーメンの日」とは?
8月25日が「即席ラーメンの日」として制定されています。
即席ラーメンの日というのはなぜできたのか、なぜこの日が即席ラーメンの日に制定されたのかということを紹介していきます。
由来・意味
1958年の8月25日に世界初のインスタントラーメン、「チキンラーメン」が日清食品より発売されました。
このできごとが「即席ラーメンの日」ができた由来です。
インスタントラーメンの進化
続いて、誕生してからこれまで進化をし続けているインスタントラーメンについてまとめていきます。
カップラーメンには、第一期黄金時代と第二期黄金時代というものがあったのです!
それらについて詳しくまとめていきます。
第一期黄金時代
まず最初に訪れたのが第一期黄金時代です。
【第一期黄金時代とは】
インスタントラーメンは急激な需要の増加で品不足に陥ったことで、多くのメーカーが市場参入をはじめました。
- 1961年(需要期):70社以上
- 1963年:100社以上
- 1964年〜1965年:360社
このように3年ほどで300社ほど増えていきました。
しかしインスタントラーメンならなんでも売れるという時期は、そう長くは続かなかったのです。
心あるメーカーや流通、マスコミ関係者は、品質の向上が必要だということに気づきました。
そして、生活者からもインスタントラーメンの味や品質に対する要望が生まれます。
そんなときに、味付けタイプからスープ別添えに踏み切ったインスタントラーメンがあったのです。
1962年4月、明星食品は「支那筍入 明星ラーメン」の発売して、ほぼ同時期に東洋水産は「マルちゃんのハイラーメン」からスープ別添えタイプへ切り替えが始まりました。
そしてこのスープ別添えタイプは、発売と同時に爆発的に売れていきます。
味付けタイプにくらべて手間がかかりますが、めんやスープに味わいを深めるということが可能になったそうです。
マルちゃんのハイラーメンはほかの具材を加えることができるということから、都市部の主婦たちが気に入ったようです。
そしてこのことが、インスタントラーメンの新しい流れを作りだすことになりました。
これが第一期黄金時代でした。
第二期黄金時代
続いて訪れたのが第二期黄金時代でした。
【第二期黄金時代とは】
1962年に明星食品の「支那筍入 明星ラーメン」と、東洋水産の「マルちゃんのハイラーメン」がスープ別添えタイプとなったことを上でまとめました。
その翌年には夏場商品として「日清焼そば」が、またエースコックのヒット商品「エースコックのワンタンメン」というものや、東洋水産が和風めんの始まりをつくった「マルちゃんのたぬきそば」など次々と新製品が登場していきました。
1964年には、サンヨー食品から「長崎タンメン」が発売されてタンメンブームが起きました。
そこからサンヨー食品が一躍大手メーカーの仲間入りを果たすことになったのです。
(生産食数)
- 1961年:5億5千万食に対し
- 1963年:20億食
- 1965年:25億食
このように、約4年で20億食も増えたのです。
1960年代中盤がインスタントラーメン第二期黄金時代でした。
各メーカーの価格競争や商品開発競争が図られました。そして、インスタントラーメンは大きく成長していったそうです。
カップヌ-ドルの誕生
カップヌードルの誕生の先駆けが「チキンラーメン」の誕生でした。
チキンラーメンを開発したのは安藤百福という人物でした。
安藤は自宅に建てた小屋で 「お湯があれば家庭ですぐ食べられるラーメン」の研究を始めます。
道具や材料はすべて自分で探し集めました。そして1日平均4時間という睡眠時間で1年間ひとりで、研究をしていました。
開発にあたって5つの目標を立てていたそうです。
①何よりもおいしくて飽きのこない味
②家庭の台所に常備できる保存性がある
③調理には手間がかからない
④値段が安い
⑤安全で衛生的であること
この5つの目標を建てました。
試作品を作っては捨ててを繰り返し、ようやく理想的なものを作ることができました。
そして様々な研究を重ねて1958年8月25日に世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」が発売されたのです。
お湯を注ぐとたった2分で食べられるチキンラーメンは、当時の常識では考えられなかったので「魔法のラーメン」と呼ばれたそうです。
発売当時のチキンラーメンの価格は1食35円でうどん玉ひとつが6円の時代だったためこれでは商売にならないと言われていました。
しかし、チキンラーメンを実際に食べた人々からのすばらしいという声が日に日に高まっていきました。
そして大ヒットとなったことから、安藤はテレビ番組のスポンサーになりコマーシャルを制作しました。
そこからテレビの急激な普及とともにますます広くチキンラーメンが知られたのです。
その後の1966年にチキンラーメンを世界に広めようと考えます。
欧米へ視察に行くと現地で訪れたスーパーの担当者たちは、チキンラーメンを小さく割って紙コップに入れ、お湯を注ぎフォークで食べたそうです。
アメリカにはどんぶりも箸もないということに気付くことになります。
この経験から麺をカップに入れてフォークで食べるという新製品開発へと進みます。
こうして開発された商品が「カップヌードル」と名付けられ、1971年9月18日に発売されました。
その後カップヌードルは「Cup O’Noodles」という商品名で、1973年にアメリカに進出しました。
さらにブラジル・シンガポール・香港・インド・オランダ・ドイツ・タイなどに次々と進出しました。
そこでは日本の味をそのままというわけではなく、それぞれの国や地域の人が好むスープや具などを取り入れました。
そしてカップヌードルは日本生まれの世界食となったのです。
NHK朝ドラ「まんぷく」効果は?
朝ドラの"まんぷく"では安藤百福の妻である仁子に焦点を当てた物語が展開されました。
まんぷくの最終回にカップヌードル食べ歩きの映像が流れましたが、それに対して日清のTwitterはこうツイートしました。
「おかげさまでカップヌードルは発売から48年。『正座で食事』の時代に、歩行者天国で若者たちに『食べ歩き』させて、大人たちに『けしからん』と怒られたんだよなぁ。思えばここからずう~っと僕たちは『けしからん』なんだなぁ・・・」
このツイートにはまんぷくファンから様々なコメントが寄せられたそうです。
そして、まんぷく放送後「チキンラーメンの女房 安藤仁子展」が開催されるほどの人気でした。
さいごに
今回は「即席ラーメンの日」について紹介していきました。
カップヌードルについても様々なことをまとめていきましたが、日清が世界初のカップヌードルを作ったということは知らなかったという方もいるかもしれません。
これがカップヌードルについても、詳しく知るきっかけになったら嬉しいです!
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